櫻井よしこ(ジャーナリスト)

 国立大学法人化で、大学の教育・研究目標を六年単位で区切って中期目標と し、それを文部科学大臣が決めるようになるのだそうだ。

 全国でいずれ八七になる国立大学の教育・研究の中期的概要を決定する能力 が、一体、文科大臣や文科官僚にあるのか。問うのさえ赤面の至りで、答えは 明白だ。

 にも拘わらず、日本の大学教育・研究は、いまや彼らの狭量な支配の下に置 かれようとしている。国費を投入するからには、国として責任をもたなければ ならないからだと遠山大臣は力説する。しかし、これまでも、今も、国立大学 に国費は投入されてきた。それでも教育・研究目標を、政治や行政が決めるな どという愚かなことはかつてなかった。政治家も官僚も犯してはならない知の 領域の重要性を辛うじて認識していたからである。

 それが今回の法人化議論でたがが外れ、世界に類例のない、政治と行政によ る学問の支配が法制化されようとしている。

 学問への支配は、大学の人事の支配によって更に息苦しいまでに強化される。 法人化された大学では学長の任命権も解任権も文科大臣が握ることになる。生 殺与奪の力を文科大臣に握られてしまえば、学長は文科省の意向に従わざるを 得なくなり、大学の自立の精神は土台から揺らぐ。理事の数まで、大学毎にこ と細かに法律によって決められてしまう制度のなかで、大学の自由裁量は絶望 的に損なわれていく。文科省の顔色を忖度しながら行われている現在の大学運 営は、法人化以降は更に蝕まれ、文科省の指導に決定的に隷属する形で行われ るようになるだろう。

 大学の自主自立と独創性を高め、学問を深めると説明された国立大学法人化 は、その建前とは裏腹に、自主自立と独創性を大学から奪い取り、大学教育と 学問を殺してしまうだろう。

 経済政策で間違っても、産業政策で間違っても、やり直しは可能だ。しかし 教育政策における間違いは決してやり直しがきかない。日本の未来の可能性を 喰い潰してしまうこの大学法人化に、心から反対する所以である。
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