佐賀大学教養部 豊島耕一
(「日本の科学者」1991年5月号掲載)
全国の例にもれず,佐賀大学でも目下教養部をどうするかが全学的な議
論の的となっている.本学では数年前から教養部のあり方,一般教育のあ
り方についての全学的な検討が自主的に行われてきたのであるが,しかし
この半年来は,教養部教授会の立場からすれば学内外の「外圧」による議
論が押し付けられたという感が強い.言うまでもなく大学設置基準の改訂
と相関して作動している教養部解体への暗黙の「行政指導」である.この
ストレスの中で,大学審議会法案にいち早く反対を決議するなどかつて外
からは「一枚岩」に見えたかも知れない教養部教授会メンバーの意見も,
ちょうどクロマトグラフィーにかけられたように相互に大きく分裂するこ
とになった.すなわち,教養部を解消して文系学部をつくり,一般教育は
全学で分担するという考えと,一般教育の維持・充実のためには,仮に改
組するとしても一般教育の責任部局制を重視すべきであるという考えとが
対立している.
これからこの報告をまとめようとしている私自身も当事者であり,この
対立に関して中立ではなく後者を主張している一人である.できるだけ客
観的にまとめようと思うが,このことが意識的,無意識的に記述に影響す
るだろうことはお断りしなければならない.また,筆者は,今回の設置基
準の改訂による授業科目区分の廃止は確かに「規制緩和」だが,実効的に
はこれが一般教育の基盤の弱体化につながる可能性が大きいと思っている.
佐賀大学教養部は,1966年,文理学部の改組により発足して以来,
理工,農,経済,教育の4学部の一般教育・語学・保健体育を担当してき
た.年々,入学定員の増加,そして最近の臨時増により,教員も現在51
名を数え,一学年1,180名の全学生の教育に当たっている.一般教育
は入学後最初の2年間にわたって実施されるが,2年次には専門の授業も
かなりの程度行われる.1年半および2年経った時点で専門への進級が判
定される.学部・学科によっては,4年生の卒業研究を履修できる条件に,
残っている教養の単位の上限を設けているところもあるようで,進級制度
も複雑である.全ての学部と教養部は最大直径750mの一つの敷地の中に
あり,学生が専門と教養の授業とを行ったり来たりするのに物理的な困難
はない.
一般教育としては,人文・社会・自然の3分野に54の授業科目が設け
られ,そのほとんど全部が実際に開講されている.このほか総合科目とし
て'91年度は7つの授業が実施され,一昨年からはさらに教養基礎科目(少
人数ゼミ形式の授業)がかなりの数設けられた.授業クラス数の'91年後期
の実績は,一般教育175,語学203,保健体育44である.一般教育担当の
専任教員は31人だが,学内,学外の非常勤講師としてそれぞれ29人,
32人を招いて授業が行われている.一般教育科目のクラスの平均人数は
85名である.
これらの日常的な運営に当たるのは教務委員会である.委員会の仕事は
主にルーチンワークで,教育内容について議論することはない.教授会は
といえば,かなり議論好きの傾向があり,「一般教育の理念」などを話題
にすることはあるが,授業内容やカリキュラムについて議論することはま
れである.これらは専ら教員個人のレベル,あるいはせいぜい教室のレベ
ルでのみ検討されている.
このように,一般教育等の実施や課程の設定は教養部の責任と権限のも
とに行われているが,一方,全学部の意見を反映させ調整するための機関
として「教養課程協議会」が設けられている.これは,各学部・教養部か
ら学部長ほか数名の委員が選出されて,少なくとも年1回は会合を持つ.
このほかにもいくつかの委員会とその答申などが出て来るので,読者の
便宜のために図に示しておく.以下でこれらの委員会を略称で呼ぶ場合は,
図のアンダーラインの部分を用いることにする.
( 図 )
教養課程に関しては,学部側からいろいろな問題点や不満が指摘されて
いた.たとえば,教養部は学生数が多いこともあって,学生によく目が行
き届かず,専門に来る前にドロップアウトする学生がいる,あるいは遊び
癖がついてしまう,などである.もちろん多人数クラスでの授業にともな
うさまざまな弊害についても云々されていた.これらのことはむろん教養
部の教員自身強く感じていることでもあった.
本学では,教養課程の問題点などについて全学で話し合う組織として
「教養課程連絡協議会」と言うものがあったが,実際には年一度のセレモ
ニー的な会合が開かれるだけだった.上のような問題意識が学内に高まっ
てきたのを契機にして,この組織をもっと実質のあるものにしようという
ことになり,名前も「教養課程協議会」に改められ,同時に,改善の方策
を探る作業部会としてこの下に「専門委員会」が設置された.'87年9月の
ことで,この「協議会」から「くさび型」,「指定科目」,総合科目を中
心に総合的に検討をするという仕事が与えられた.「くさび型」とは,教
養科目と専門科目の履修を学期学年で区切らず,徐々にその比率を変えて
いくやり方を指し,2番目の「指定科目」とは,理系の学部が数学など自
然科学の特定の一般教育科目が必修となっているが,これが専門基礎か一
般教育かあいまいであることの問題点を指す.
4つの学部からそれぞれ1名と教養部から筆者も含め2名,計6人の専
門委員は,2年弱の期間にわたって議論や調査をおこなった.委員が教授
会代表でないことや委員の人数も少ないこともあって,十分率直に議論し
合い,オフタイムには時にアルコールの助けを借りることもあった.国大
協が出した一般教育に関するレポート,欧米の状況(ただし日本語の文献
のみ)などを勉強したり,いくつかの大学に出張して担当者の話を聞くな
どの調査を行い,本文A4版で10頁の「佐賀大学における一般教育の充
実と活性化についての答申」1)を'89年6月に公表した.
答申の内容はいわば常識的なもので,(1)一般教育の実施を初学年次
に限定するのは意味がなく,3年次,あるいは場合によっては4年次にも
実施すること,(2)一般教育の多様化のために専門の教員も大いに一般
教育にコミットすることの二つが主な内容である.(1)は同時に専門教
育も早くから始めることを意味し,学生の受容度に合わせて教育課程を再
編しようという狙いである.このほか外国語教育を少人数クラスで実施す
ることの重要性が強調されていた.
一方,教養部自身は,1973年に改組委員会を発足させて以来,その学部
化への道を模索し続けている.学部化すべき理由となったものは,(1)
文理改組によって文系学部が失われたが,これを復活したいという要求,
(2)一般教育を担当するための人的・物的資源が非常に貧困であったこ
とがあげられている(文献2).それ以来19年間綿々と議論が重ねられ
ており,私が赴任した11年前も教授会でときどきその話題が出ていたの
を覚えている.(終わりなく続く議論という感じがして,正直なところ私
には余り関心が持てなかった.)
'86年頃からそれまでの「人文学部案」から離れ,'88年1月に「教養学
部案」に到達した.当時の全国的な「教養学部」あるいは「総合科学部」
への動きに影響されたとも思われる.'90年2月の改訂版によれば,改組の
目的として,学部化によって一般教育の現状を改善することと,「総合的
知識人」の養成がかかげられている.国際文化課程と環境・自然課程の2
つの課程に合計40人の学生定員と61人の教員定員を想定し,全学の一
般教育も担当するとしている.教養部教授会では,教員の負担が増えるの
ではないか,本当に一般教育の改善につながるのかなど,いろんな議論が
なされたが,'88年の早い頃承認されている.
この案はしばらく棚ざらしになっていたが,全学的な検討をするために
'89年2月に「教養部改組構想検討委員会」が設けられた.そこでの議論や
全学からの批判などを踏まえ,'90年2月の改訂版となった2).
−−90年春から夏にかけて
このようないわば下からの改革の動きは,大学審議会の中間的な文書が
あいついで出されて,新しい設置基準の内容が明らかになってくる'90年に
はいって強くcurbさせられる.
まず,「教養学部案」が改組構想検討委員会で非常に否定的に扱われる
ようになり,夏には教養部教授会はその撤回を迫られる.案をまとめた責
任者である改組委員長自身が,教授会で教養学部案取り下げの先頭に立つ
という異常な光景は忘れられない.取り下げの理由は,案の固有の問題と
いうよりは,「文部省が認めないものを出しても意味がない」ということ
であった.教授会は激論の末撤回を認めた.そして'90年12月には改組構
想検討委員会も解散されてしまう.
一方,教養課程協議会の第二次専門委員会は,先の専門委員会の答申の
具体化を検討していたが,'90年10月にはこれも解散された.後で述べる
評議会の「部会」の第一次答申3)によれば,「旧設置基準内での改善検討
は二重手間である」から解散したのだそうだが,理由としてはおかしい.
予想された新設置基準は規制緩和の方向であり,専門委員会答申を具体化
する上で自由度が広がりこそすれ,新たな困難を生じる心配は全くなかっ
たからである.しかも,答申が旧設置基準にしばられ過ぎているというよ
うな意見がそのときまでに表立って言われていたわけでもない.だとすれ
ばこのような意見が「声なき声」としてあったのか,さもなければ文部省
の言うことには直ちに反応しなければならないという,われわれの中にあ
る中央集権主義的メンタリティーが発現したのだろうと思うほかはない.
第二次専門委員会は'90年10月に出したその最後の報告で,「いずれ,専
門教育と一般教育の総体を検討する全学的委員会が設置される事になるも
のと思われるので,本委員会の役割は終了したものと認識している」と述
べており,その解散が大学の中心部で筋書きされたものであることを暗に
示している.この「全学的委員会」は「教育改革構想検討部会」として評
議会に作られ,大きな力をふるうことになる.
この「部会」は評議員10名と,もと第二次専門委員会の委員長など3
名の合計13人で構成され,'91年4月に活動を開始した.教養部教授会の
有力メンバーも複数含まれている.部会は昨年9月に第一次答申3)を出し
て改革のあらましを示したが,その中心はやはり一般教育に関するもので
ある.教育理念,教育課程,組織再編の3つの部分からなり,全学の教員
による一般教育の実施,それと連動する教養部解体と文系学部新設を含む
組織再編を提案している.
教育課程の改革の部分では,新しい教科の区分として,専門,総合(従
来の一般教育に相当),共通基礎(語学,健康・スポーツ,情報)をもう
け,名前こそ変われ従来の一般教育と専門教育の二本建てを維持する形に
なっている.単位数では「総合」は従来の一般教育科目36単位に比べい
くぶん少ない量が提示されている.一般教育の重要性を強調しているけれ
ども,委員の一人が説明会で使った「専門を中心とした同心円構造」の図
式の外周部に「総合」教育科目が位置づけられていたことから,大学教育
の重点を専門教育に置いているように思われる.
同じ部分では実施方法,担当者についても述べているが,教養部は廃止し
て教員はすべて学部所属とし,従来の一般教育に相当する部分は「セン
ター」を設けて運営の責任を持たせることになっている.「センター」の
中身が何かは次の答申4)に譲られているが,少なくとも現在の教養部より
はゆるやかな組織になることはまちがいない.答申はこのように組織の大
変革を提案しているにも関わらず,なぜ教養部ではいけないのかなど現体
制の問題点については全く触れていない.
組織再編の部分では,「部会」の意見は完全には一致しておらず,それ
ぞれの学部の意向も反映してか3つのタイプの改革案が併記されている.
しかし教養部をなくして新しく文化系の学部をつくるという点では一致し
ている.まえに述べたように,教養部自身も学部への改組案をまとめたの
だが,これとは(1)文理一体の総合型でないこと,(2)一般教育の責
任部局とならないことの二点で異なっている.このため教養部教授会では
この案に対して意見が分かれることになる.
この答申が出されるのと前後して,「教養部解体必然論」が学内のいろ
んなレベルで云々されたようである.教養部解体はもう避けられない,こ
の枠の中で議論するしかない,というわけである.残念ながら学内世論は
この「暗示」にかなり影響されたように私には思われる.教養部教授会の
場でも,一般教育科目という区分が廃止されたことは教養部の存立の法的
根拠が失われたことだという議論までする人もいた.また,部会の長ほか
有力メンバーの所属学部である理工学部では,部会答申の「全学出動によ
る一般教育」の実施を前提とした計画作りなどが進められた.
このような学内の雰囲気もあって,自らの「解体案」を突きつけられた
形の教養部教授会の議論は,はじめ非常に重苦しいものであった.議論を
重ねるにつれて冷静になってきたとはいえ,この案の賛否をめぐって意見
が大きく対立している.問題を複雑にしている主な理由は,一般教育の実
施組織の問題と文系の学部の新設の問題とが結合している,あるいはさせ
られていることである. 佐賀大学は文学部(または類似のもの)を持た
ない.部会案賛成派は文系学部の設立の重要性を説き,これが一般教育の
確立にとっても必要だと主張する.もしこれがひとつの学部の「純増」と
して提案されるのであれば,一般教育の組織形態の問題とは別個に議論す
ることも可能である.しかし一部局の増設が認められる可能性は非常に少
なく,かわりにほかの部局をスクラップしなければならない.その対象が
教養部なのであり,一般教育の問題とまともにぶつかる.したがって慎重
派ないし反対派は,一般教育の規定を削除された新しい設置基準のもとで
は,一般教育は責任部局(教授会)なしでは専門教育に従属させられたり,
軽視されていく危険があると主張する.慎重派のこの意見は教養部教授会
としての一致した懸念として確認され,「責任部局の解消及び責任部局の
ない全学出動方式は,一般教育の改善に関して疑義がある」という趣旨の
言葉が議事録に残され,また全学にも伝わった.
この種の問題では常に言われることであろうが,チャンスの問題,ある
いはタイムリミットということがある.具体的には,臨時増の学生定員を
新学部の設立に使うとすればことをゆっくり進めるわけにはいかない,こ
んご大学入学者が減少していけばますます新設は困難になるという見解で
ある.このほか,研究条件の問題,教養部の今後の見通しの問題などでさ
まざまに意見が分かれている状況である.教養部教授会は今後たいへん困
難な選択を迫られる.
議論は教養部だけでなく全学的にも行われており,昨年12月には大学
当局主催の「全学フォーラム」も開かれ,部会案に対する賛否両論がたた
かわされた.また教職員組合は昨年11月に「大学改革問題調査委員会」
をもうけて,懇談会を開いたりニュースを発行(2月18日までに10号)
するなどして,意見の交換や情報の提供に貢献している.
部会案は一般教育に全学の教員が参加するという点に関しては積極面を
持つことは間違いないが,これに応えなければならない側の学部教員の気
持ちは複雑であろう.大学院の設置で学部教員はますます忙しくなってい
るという状況があるからである.
教養部存続を言うとまるで時代錯誤のように見られるという風潮が出来
てしまったようだが,はたして教養部制度(教養課程制度ではない)には,
どんな制度にも一長一短があるということ以上に重大な欠陥があるのだろ
うか? 目の前のものは欠点ばかりが目につき,想像上のものは素晴らし
いものに見えるという, "遠くのイバラが芝生に見える" 効果に惑わされて
いないだろうか.なるほど一般教育を低学年次に限定する「教養課程」制
度には問題があるが,もしタコ足大学というような地理的な障害がなけれ
ば,教養部の存在を前提にしてもこの改廃は自由にできるはずである.も
し担当者の固定化が問題なら,学部と教養部の教員の間で授業を相互に分
担し合えばよいのである.研究教育の条件が悪ければその改善を求めれば
よく,教員定員の配置の面でも設置基準が緩和された今,「条件改善のた
めの学部化」の根拠は失われつつある.教養部のままでは改善不可能とい
うのは非科学的でさえあるだろう.
そのメリットが生かされているかどうかはともかく,教養部は,全く専
門の異なる研究者が「一つ釜の飯を食う」という,それこそ特色ある存在
である.組織改革を唱えた方が「革新的」でカッコイイかも知れないが,
現在の日本の大学のかかえる問題の核心が本当にそこにあるのだろうか.
組織改革となれば必要な会議の時間だけでも膨大であり,「一般教育」の
規定を失った新設置基準のもとで,一般教育の維持に十分な安全性をもっ
た代替システムを工夫するだけでも大変な作業だということも忘れるわけ
にはいかない.
佐賀大学教養部の場合は,さきに述べたように文系学部の設立の要求と
の関連があり,ほかの大学でもそれぞれの事情があろうから,問題はこれ
ほど簡単ではないかも知れない.しかしどの教養部にも少なくともその
「弁護士」は必要と思われる.なにしろ「死刑判決」のおそれがあるのだ
から.
最後に,当面の問題にすぐに役立つわけではないけれども,国立大学の
組織改変の手法について少し一般的に考えてみたい.
大学や学部それ自身の設立,廃止はもちろん組織の大きな改変も「大学
自治」の範囲の外にある.したがってこの手続きは,関連する予算や法律
の国会による承認,そして設置審議会による審査という道筋で公的な裏付
けを得る.しかし出発点となる提案自体は(現在の国会のあり方ではこれ
が殆ど同時に結論でもあるが)つねに文部省という官僚組織によって行わ
れる.個々の大学の「概算要求」とはこの行政上の手続きの一環であり,
しょせん文部省の手伝いをしているに過ぎないとも言える.このルートに
よる組織改革では大学に対して官僚組織の側が完全に優位に立つことは明
らかであり,文部省の数人の担当者が大学組織の設計に対する大きな権限
をもってしまうことになる.
このようなシステムは,だれが考えても学問の自由や教育の独立と矛盾
している.それだけでなく,文部省と接触する大学首脳部の”情勢認識”
が絶対的な力を持ってしまい,学内での民主的な討論を成り立たせないと
いう意味で教授会自治に対しても破壊的に作用する.論争点をかかえた改
革案を前にして,「このチャンスを逃せばわが大学の発展はない」などと
言われればこれにどう反論できよう.議論は情報の共有のもとでのみ成り
立つのである.
改革への大学関係者の民主的な参加のために,そして何より教育の独立
と学問の自由のためにも,直接の当事者である大学関係者の十分な発言力
が大学改革において確保されるようなあたらしい手法,制度を本格的に考
える時期に来ているのではないだろうか.改革が必要なのはむしろ改革の
ためのシステムそのものかもしれない.
(1991.2.28)
図
( 教 養 部 ) ( 全 学 )
教養部改組委員会 _
(−1990.12) ↓
_______ 教養課程協議会(1987−)
| 教養学部案 | 専門委員会,第一次
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ↓ (1987.9−89.6)
↓ ____
教養部改組構想検討委員会 | 答申 |
(1989.2−90.12)  ̄ ̄ ̄ ̄
↓ ↓
× 第二次専門委員会
(1989.9−90.10)
教養部将来計画委員会 ↓
(1991.1−) ×
↓
? 評議会教育改革構想検討部会
(1991.4−)
↓
______
| 第一次答申 |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
↓
?
文献
1. 佐賀大学教養課程協議会専門委員 会,「佐賀大学における一般
教育の充実と活性化についての答申」,1989年6月
2. 教養部教授会,「佐賀大学教養部改組構想」,1990年2月改訂
3. 佐賀大学評議会における教育改革構想検討部会,「佐賀大学『教
育改革構想検討部会』第一次答申」,1991年9月
4. 佐賀大学評議会,「『佐賀大学の教育改革構想』(第一部 教
育課程の基本方針案)」,1992年2月
========== 修正.1995年3月14日 ===============
7節第二のパラグラフで「組織の大きな改変も『大学自治』の範囲の外にあ」り,
「設置審議会による審査」を受ける
と書きましたが,これは誤りであると思われます.「国立大学の評議会に関する暫
定措置を定める規則」という省令の第6条によると,評議会の権限として,「学部」,
学科その他の重要な施設の設置廃止に関する事項」を審議するとあります.つまり
大学自身で学部レベルまで設置廃止を決定できるのです.(詳しくは同じディレク
トリにありますlegal-procedure.txtをお読み下さい.)このことは大学にはそれ
ほどの権限と,したがってそれに伴う重大な責任とが負わされているということで
す.大学自身で「国民との独自のチャンネル」を持つことの必要性が感じられます.
=====================================